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御津町商工会

① 佐脇神社

104.jpg御祭神は大山咋命です。近江国日吉大社から勧請され、酒の神様ともいわれています。また一方では、山口作之助が、今の豊川市平尾町から、上佐脇の草分けとして移住した時に、平尾の星野神社の山王宮の御分霊を受けて創建したとも伝えられます。
上佐脇から豊橋へ移住された、岩瀬広吉氏宅に、天和2年(1682)岩瀬宗太夫重定が書いた、「三州吉田城廓之由来記」があります。これには、岩瀬雅楽之助は、後に佐脇郷司岩瀬吉十郎貞秀と改名しました。天文4年(1535)郷民と相談し、坂本日吉山王宮を氏神とし、宮柱太しく立て、翌年9月9日、祭を行った旨が書かれています。また当社には今川義元から寄進されだという、木像の狛犬一対と、木槍数本や獅子頭があります。社紋は、今川家の57の桐紋です。
昔、地元で、山口氏と岩瀬氏が、氏神様のことで争いとなり、山口家は、所持する古文書を総て裏の竹藪へ埋めさせられたと言い伝えています。今末社の中に、本社と同じ日吉社がありますが、こうした事情に基づくのかも知れません。
上佐脇では、山王宮のお使いである猿を虐待すると、不運を招くといわれています。
境内にある末社の稲荷社へは、領主であった大岡越前守が、毎年の祭日に、御神酒代として、銀五匁を奉納した記録もあります。

切支丹訴人制札(町指定文化財)
正徳元年(1711)に奉行所から出された制札で、大切に保存されてきました。
内容は、「切支丹の関係者を訴え出た者には恩賞を与え、若しかくまった者は、厳罰に処する」ということが書かれています。

鰐口(町指定文化財)
元禄2年(1689)佐脇社「山王御宝前」に奉納されたもので、祢宜岩瀬継之助、庄屋岩瀕彦エ門、羽田野六兵衛、冶工北金屋村、中尾作左右衛門の銘文があります。

湯立釜
当社の御宝物として、最近、湯立釜が2つ発見されました。銘には、「上佐脇村山王宮湯立釜二口之内享保19年(1734)」となっています。
広石の御津神社からも2つ発見されていて、江戸時代、この地方にも、湯立釜に湯を煮え沸らせ、邪鬼を祓い、神の御恵をいただくという神事が行われたことが知られます。
奥三河地方に古くから伝わる花まつりにおいても、「湯立て神事」は、重い意味を持っています。

       みと歴史散歩❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より