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御津町商工会

★『七本塚』 (4-①)

76.png伝説によりますと、新田義貞の家来が国府の東にある鷺坂の戦いに敗れて、ここまで落ちのびてきて、自刃して果てたのを、村の人が埋葬してやったところということです。むかしは七つの塚がならび、一つ一つに、「うつぎ」の木が植えられてあったとのことです。ですから正式には七本(ななもと)うつぎの塚と呼ばれていました。
明治のころまでは、夜になると白馬にまたがり、血にまみれた武将が駈け去るのをみたという人があって、村の人は夜間の通行を恐れていたそうです。
ここに一つのご利益は、歯痛になやむ人はこの塚にお祈りすると、たちまち、治るというので医療の発達しなかったころはこうした暗示療法がよく利くので大変はやったとのことです。治りますとそのお礼には、もみがら1升もって行って塚にささげる習いでした。塚は常にもみがらで埋もれていました。
昭和40年、土地改良工事が行われて、あとかたもなく取払われ削平されてしまいましたが、そのとき地下40センチくらいのところから写真のような須恵器片が出てまいりました。平安時代のもののように見受けますけれども、今は町中央公民館に保存してあります。

          広報みと❺文化財 昭和54年11月15日号より