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御津町商工会

⑬ 『丹野城趾』

69.png萩原左衛門尉芳信卿は元筑後春日山の城主でしたが、三河へ流れてきてこの御堂山の上に城を築き、多くの僧 兵を従えまして威を振っておりましたが、ある日敵の襲撃にあい下山して戦う中に部下の反逆によって赤根の備後林において討死しました。
城趾は御堂山(363.5メートル)山頂にあり、あらましのことは、慶長2年(1597)に萩の竜源寺の鶴翁芳宿という僧が書いた宝国山記に「備後州の刺史萩原芳信なるもの全福寺の資産を取り掠め山頂に拠って城廓を築きあるところの仏器をとかして兵器となす」と記されております。この城は上記のとおり全福寺との関係や、けわしい山形、またははっきり残る堀の遺構などにより御堂山々上にあったものと推定されるのです。かくて芳信は一敗地にまみれて、その遺児は赤根にかくまわれて土着し、姓を今泉と改め芳信卿を氏神様として祭ったのであります。
山頂には後裔にあたる御馬の今泉氏が、昭和47年に丹野城趾碑を建てられ、同族の御津磯夫氏が碑陰に「丹野城山めぐらしてわが祖の一代栄えし阯のこりたる」との歌を詠じて刻んであります。
この城趾は本町と蒲郡市とにまたがり、従って両市町の共同指定史跡となっております。

          広報みと❺文化財 昭和54年4月15日号より