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御津町商工会

★『獅子舞神楽』 (6-⑩)

71.png萩原神社のご祭神は萩原左衛門尉芳信卿です。ほかに素盞嗚命をお祭りしています。
芳信卿は戦い利あらずしかも部下の反逆により、備後林というところで今はこれまでと馬に乗ったままで、自刃して果てられました。時に文明2年9月6日(ある本には七月とも)のことと伝えられています。(1470)
残された夫人の行方はわからず、遺児のうち四郎4才、里丸2才の2人は赤根の今泉家にかくまわれて命を助かりました。しかし、世をはばかって今泉姓を名乗らせ一家を創立しました。四郎の子今泉助右衛門は大永2年(1522)祖父芳信のために小祠を建てて、その霊を慰めました。これが萩原神社です。あい前後してそのころ、みめうるわしい女性が神前にぬかづいているのを見たという人が現われまして、それが乱軍中行方不明となっていた夫人ではなかろうかという憶測がひろまり、村の人はいよいよ敬幕の念を厚くしたとのことであります。
ずっと後世になって、その心を心とした氏子代表の鈴木三郎という人が神霊を慰めたてまつる意もだしがたく、弘化元年(1844)田原の師匠について女獅子の舞を習ってもどりまして大祭りには欠かさず舞を奉納したとのことです。
所作は麗人参拝の状を表現しているといわれ、神に仕えんとする心が自然に発露しおのづから観衆をして往事を追懐させずにおかないものがあります。各地の獅子舞がだんだん廃止されてゆく今日、これは貴重な民俗芸能の一つです。毎年四月最後の土、日曜日に挙行されます。

歌詞
一、     みな三尺余のさお持って悪魔を払わん。目出度よ、太平楽よ、あらためえるよ。
一、     ヤレナ目出度、めでたの若松様だまあだ。
一、     ヤレナ、枝も栄える若葉も茂る。まあだ。(以下略)

          広報みと❺文化財 昭和54年6月15日号より