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御津町商工会

㉓ 観流山『遊泉寺』

139-1.png当寺は字宮前17の1にあります。山号は観流山といい、ご本尊は聖観音です。曹洞宗の法住寺末寺ですが、檀徒はなく大字持ちの寺となっています。創立は明らかでありませんが、既に慶長(1598-)ころの古地図などに祐泉庵あるいは惣庵と記されており、いずれも遊泉寺のことです。むかしは松林の中に存在していたとのことで、また、当時心竜院、海蔵庵 という寺があったといわれ、この2つの寺の所有田畑については検地帳にも記されています。また、「かいそうわん畑」という地名が古地図に出ており、そこがその寺の所在地と思われます。古記録には遊泉寺の南に法住寺の「寺屋敷」と記入があり、これが心竜院の跡ということです。明治10年ごろは土塁の跡などもあったとのことです。真(心)竜院前住峰岩雪公和尚が寛永19年示寂と法住寺の過去帳にあることからすれば、心竜院の建物は既にそのとき廃絶していたものとみえます。ともかく、遊泉寺の開基は中林允公和尚でこの人は天正元年(1573)2月15日示寂せられたので、その存命中に創立されたものではないでしょうか。
境内に薬師堂が独立して建っています。本尊の薬師如来は恵心僧都の作としてあがめられています。天正11年(1587)にご開帳が行われたとの記録があって、以後50年目に1度という習いになっており、領主松平長三郎は明暦2年(1656)に遊泉寺の除高(免税地)5斗目のお墨附を下附して、寺の保護に協力し、ま139-2.pngた、安永三年(1774)には領主一色主水からは水代灯明料として金10両(元字金)を寄進し我が武運長久を祈願しました。かくのごとく霊験あらたかな薬師如来は今から10数年以前盗難にかかりましたが、無事に変換されたこともありました。現在の薬師堂は大字区民の赤誠により昭和46年に工費90万円を以って建立せられ威徳を増進しました。むかしは半郷の山の中にあり安永2年(1773)遊泉寺境内に移転されたのですが、元の所在地は薬師山と称し小松が生い茂っていたのを他に売却したとのことです。現在お薬師様は毎月七日に所願成就、無病息災のご祈禱が勤まり参拝の人も多く、また、11月7日は大祭として御祈禱があるほか、投餅等の行事が盛大に行われます。境内には行者像、庚申塚がありますが、もとは寺の北方300メートルほどの場所にあったのを明治初年この境内へ移されたとのことです。現在無住ですが本山の法住寺方丈が出張して、諸務を鞅掌しております。

       広報みと❼文化財 (寺) 昭和60年2月15日号より