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御津町商工会

④ 『薬師堂』

119.png所在地は字屋敷47です。本尊は薬師如来座像で日光月光両菩薩が侍立し、十二神将も安置されています。創立は不詳ですが所在地附近の地名を御堂といい慶長9年(1604)検地帳にも御堂という字名が載っており少なくとも当時既にこの寺が存したことはたしかのようです。古老の言によれば竹尾久市氏の祖に医を業とする人がおり家に尼僧がいたので小庵を建立して住まわせたということです。一応曹洞宗東漸寺に属していますが小堂であり御堂の島を中心として大字全体の人が世話をしています。貞享5年(1688)の村差出帳にはこの堂を慈雲寺として登録しており、また戦時供出されて今はないが明治二十年代に鋳造された小梵鐘にも慈雲寺と記してあったことを筆者は覚えています。境内で一番古いものには延宝元年(1673)の石灯篭があります。
この薬師如来は眼病に霊験がありむかしは遠方から参詣に来た人も多かったといいます。例祭は旧8月8日で、ちょうどそのころ新粟が採れるときで粟柄薬師という異名があり粟餅を作って食する習いでした。氏神様の祭礼に次ぐ村の大祭で、いつも壮士芝居や浪曲万才等の余興があり売店も数軒出てにぎわいました。祭日が農繁時に重なるため昭和36年より新10月8日と変更され今日に至っています。明治18年、上佐脇尋常小学校の校舎に充用されたので本尊を始め一切を常光寺に仮安置し大正初年学校が閉鎖されたあと、同10年旧地に里帰りしもと職員室であったところに祭壇を設けて安置し、教室は改造の上大字公会堂として用いられました。この校舎は明治35年に落成開校され、そのときの祝辞が残されています「我カ帝国ハ■ニ内地雑居ノ関門ヲ開キ今又、日英同盟ノ締結ヲ為シ農ニ商ニ工ニ事業ノ進歩ト共ニ奎運モ亦日ニ隆昌ニ趨カントス滋ニ佐脇村勇士諸氏夙ニ教育ノ必要ヲ覚知シ新ニ上佐脇二尋常小学校ヲ設置セントシ(後略)明治35年5月25日宝飯郡長正7位勲6等中山真琴」
また境内には七人百姓騒動の因にもなった享保17年(1732)建立の石地蔵があり、佐藤スヱ氏が発願して寄付を募り昭和52年建立された歴世住僧供養塔があります。昭和55年度地区再編農業構造改善事業により集落センターが完成し薬師堂はその内に安置されています。

       広報みと❼文化財 (寺)  昭和58年6月15日号より