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御津町商工会

⑲ 船山古墳

73-1.jpg豊川市八幡町に同じ呼称のつく東三河最大規模の前方後円墳がありますが、この古墳も前方後円墳でどちらともこの地方の古墳を概観する上で、とくに貴重なものとされています。この古墳の全長は37mで、後円部の径は21m、前方部の最大幅は15m、前方部と後円部の比高差は現状で約0.5mです。
後円部墳頂付近に盗掘跡と推定される直径約3mの陥没部分が確認されます。
現状では判然としませんが、この古墳には築造当時周濠が巡らされていたと考えられ、昭和初期の地籍図を見るとその痕跡が窺われます。この古墳の主要部は不明であり、出土品等遺物の報告例もありませんが、この古墳の墳丘法面で採集されたという須恵質の円筒埴輪をみるかぎりでは、この古墳の築造年代は六世紀中ごろといわれています。墳丘の残存度は良好ですが、墳丘の東側裾部の浸食が著しいので早急な保存対策が望まれています。
なお、明治26年に編さんされた『三河国宝飯郡誌』下調書の控えに、「高サ6間、周囲57間、面積90坪、是レ新宮落城ノ時ニ当テ首級及武器等ヲ埋没セシ跡ニシテ宝暦ノ頃石櫃及刀剣等ヲ発掘セシ事アリ云々」とあります。宝暦(1751~)発掘という件は『郡誌』には記載されませんでした。

       みと歴史散歩❷古道に沿って 平成12年2月発行より