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御津町商工会

㉘岩略寺城跡

195-1.jpg名電長沢駅から国道1号の長沢の信号交差点を渡り、1.4㎞南に進んだ通称「城山」の山上に、岩略寺城跡がある。途中の山中の林道は狭いが、車でも城跡近くまで行くことができ駐車場もある。

岩略寺城跡の遺構
駐車場は城の堀切跡で、そこから少し登った山頂の平坦部が主郭である。南北35m、東西26mほどあり、その西と南にL字形の大きな士塁が築かれている。ここからは東西を見通すことができ(現在は木があるため見通せない)、東西三河の境目の山城として戦略的に重要な城であったことが分かる。主郭の虎口は北西角の一箇所で、その北側には12万㎡ほどの平坦地があり、前を通る敵を側面から攻撃できる備えとなっている。主郭の周囲にはいくつかの腰曲輪が設けられており、西側の―つには南に土塁を備える曲輪がみられ、その下には城道を兼ねた空堀がある。主郭の北側にも小規模な土塁を備える曲輪がみられ、その下方に三日月状の空堀がある。さらに主郭の北・北東・南東にのびる三本の尾根筋にも曲輪がみられる。東三河では規模の大きい城跡であるが、その構造は三河の城郭の中で最も発達した時期のものではなく、それよりやや古い姿を留めていると考えられる。なお、岩略寺城跡には井戸跡と伝えられる竪穴が5箇所ある。東三河の主要な城郭にはこのような遺構がみられることが多いが、その中でも数が多い。井戸としての機能を疑問視する考えもあるが、東三河の城郭の特徴ある遺構の一つである。
岩略寺城は、戦国時代における長沢松平の地の重要な城であったことは言うまでもないが、いつ誰が築城したのかなど、その歴史についてはよく分かっいない。その分、往時の状況を良く残すこの城跡を訪れると、戦国ロマンにかりたてられる。

    豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より