小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

①伊奈立場茶屋敷

156-1.jpgJR小坂井駅を出て線路沿いに北東へ100mほど行くと、県道496号の飯田線踏切がある。ここを渡って北ヘ1.2㎞ほど行ったところに、伊奈立場茶屋跡がある。
立場とは、江戸時代に街道の宿場間に設けられた休憩所のことで、茶屋(茶などを提供する休息所)や売店が設けられていた。県道496号は旧東海道であり、伊奈町茶屋付近は江戸時代には、吉田宿と御油宿の間の立場として栄えた。伊奈の立場茶屋は、貞享4(1687)年に保科肥後守正容が将軍の名代(代理)として京都へ行く時に建てられたのが始まりで、その後数軒の茶屋が設けられたという。この場所は、貞享4年に建てられた最初の茶屋があった場所であり、他の茶屋と異なり身分の高い人をもてなす格調高い茶屋であった。最初の主は又左衛門で、その後平右衛門、そして寛延4(1751)年までには加藤家に引継がれ、明治の世まで続いた。また加藤家の茶屋では良香散という咳の薬が販売され、街道筋ではよく知られていたようで、この茶屋町一帯を旅人が良香散とよんだほどである。

幻の小坂井宿
小坂井区所蔵の古文書には、慶長16(1611)年の「小坂井宿伝馬朱印控」「代官彦坂九兵衛の添状」「人馬駄賃の定」などが残され157-1.jpgている。これらは宿場に出されたのと同じような決めごとを小坂井村に命じたものであり、このことから慶長16年頃に小坂井村が宿場に指定されていた可能性がある。しかし、当時の様子をうかがえる史料が存在しないため、なぜ宿場が廃止されてしまったのかは分からない。県道496号の東側を中心として宿町という地名があるが、これはかつてこの周辺が宿場町であったことの名残りなのかもしれない。

    豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より