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御津町商工会

㉕ 『冏運院』

141-1.png当院は浄土宗鎮西派に属しており、広石字御津山9番地に所在し安貞院とともに大恩寺の塔頭になっています。塔頭というのは、もと、禅宗寺院において開山あるいは高徳の住持が亡くなった後に、弟子たちがその遺徳を慕って塔(墓所)の頭に、または同じ敷地内に建てて住した小院をいうのですが、後には転じて単に本寺に付属する山内の末寺々院をさすようになったわけです。ただ今、大恩寺には塔頭の形をとるものは2つしかありませんが、延宝9年(1681)の記録を見ればこの2寺の外に胡月院、欣求院、宝樹軒、常照軒、竜蔵軒、良徳院、真光院、広樹軒、南松軒、無三院、養修院等11ヶ所があったようです。しかし、それぞれ転宗、廃寺等の理由により今日ほとんど姿を消しております。冏運院はこの延宝記録には芸運院として載せられており、米5俵1斗4升を収納したなどと書かれております。
さて、当院の開山は昌誉冏運大徳で永正3年6月(1505)の創立です。また、創建開基は伊藤長四郎となっていますが、これはおそらく大恩寺の寺領庄屋を勤めた人であろうと推察されます。本尊は阿弥陀如来立像でお顔はやさしく信徒の誰もがそのことを口にいたします。3世伝誉円冏大徳という人が60歳のころ本堂を再建されたので中興開山と称えられております。当時は現位置より東南の方向の、参道を距って向う側の御津山二番地にありました。即ち、廃寺となった心光院の上に位していました。伝誉141-2.png大徳は元禄7年(1694)80余歳で示寂されました。現住27世八木考融師は信徒の協力の下に御津山2番地より、養 修院の跡地である現在地へ本堂、庫裡を新築移転し、昭和44年11月3日入仏式を奉修し、多くのお稚児の参加を得て盛大に式典を挙行し、のちに、浄土門主から中興開山の称号を賜る栄に浴しました。
もとの境内に弘法堂があって、大師の霊験あらたかなため、多くの賽客でにぎわいましたが長年の風雪に傷みがひどく、近年信徒の浄財により御像の修覆が加えられ、今は本堂内に仮安置されていますが、立派なお堂を再建し奉ることが住職畢生の念願であると伺っております。旧3月21日の命日には参詣者に菓子等のお接待が行われます。また、当院の行事としては1月第2日曜日に塔婆回向(先祖回向)、6月第4日曜日には施餓鬼法要を厳修し信徒のあつい信仰に報いています。

       広報みと❼文化財 (寺) 昭和60年4月15日号より