小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

⑦ 『泙野神社』

102.png当社は字新屋敷2番地に鎮座せられ、伝説によれば飯盛長者がこの神社を創建し代々長者の家で支配をしてきたとのことで、竜光寺が建てられますと管理はこの寺に移りのち応永年中(1394-)松林庵に帰し、ついで神主大須賀三郎太夫が支配してきました。字宮下に1反し、仲ノ坪に1反2畝29歩の神領田がありました。
御祭神は豊玉姫命と申上げる女神にましまして海神の大綿津見神の御娘にあたり、彦火々出見尊が海神の宮に行かれたとき豊玉姫命と結婚されのち鵜草葺不合尊を生まれたのですが、この話が古事記などでおとぎ話ふうに伝えられているのは彦火々出見尊は火折神と称し、その兄は火照神と称しそれぞれ山幸彦、海幸彦ともいわれ山の仕事と海の仕事とを分担していましたがあるとき2人は仕事場をかえ山へ行くべき山幸彦は海へ行くことになりました。馴れぬことですから、兄から借りた釣針を海へ落してしまいました。兄は許してくれず困っておりますと塩椎神が竜宮へ行ったがよいと教えてくれましたので、そのとおりにしたところ失なった針をもらえたばかりでなく竜宮の乙姫様である豊玉姫命と結婚することができ、鵜草葺不合尊という御子が授かりました。これが神武天皇の御父に当る方です。
このように当社の祭神は女神ですから、何事によらず幸運を授け災厄から身を守ってくれるという御利益があります。飯盛長者は海上で台風にあい豊玉姫命に祈願して命を助かりお礼のため本社を創建したと伝えられますが、映画館などで木戸を最初に入場する人が女性だと大入りの吉兆として喜ばれますが氏神様が女性であることは結構なことです。元禄11年(1698)から明治までの領主一色丹後守(3500石)は小普請組に属しましたが中には浦賀奉行をつとめた人もあり代々の殿様は親しく参拝したといわれています。
境内にある犬もちの樹は幹がこぶこぶしていますが霊験あらたかな神木として名高く乳の病気、あるいは乳の出のわるい人に御利益があるといわれています。むかし、神社の杉の木に常に竜灯が輝いていたのでこの神社を竜天王ともいわれました。

      広報みと❻文化財(神社 昭和57年1月15日号より