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御津町商工会

⑫ 『御津神社』

107.png参り来て仰ぐも高し思ふことみつのやしろの神のみいづを 
                 西川須賀雄

当社の創立は古く既に1000年のむかし摂政の藤原基経らが元慶3年(879)勅を奉じて編纂した「文徳実録」中の仁寿元年(851)の頃に狭投、播豆、御津神社等の11社に従五位下を授けたとの記録を存しています。その五十年後に編纂された「延喜式」には参河16座として26の神社が登録され、そのうち宝飯郡は六座として形原、御津、莬足、砥鹿、赤日子、岩座各神社の名を列らねておりますので千年もむかしの神社であることがよく分ります。と もかく当社はそのころの穂の国の外港また船舶の守護神として内外の尊崇をうけました。字祓田70に鎮座せられ御祭神は大国主命であります。日本総国風土記(これは偽書とされる)や東海道名所図会などでは下照比咩命となっておりますが社伝では古来大国主命となっており大国主命は所造天下大神とも称えられ、天下を照し給う神という意と実は大国主命の娘である下照比咩命と語呂が混同し誤伝されるに至ったものであろうと村誌の筆者はいっています。当社御津7郷12ヶ村(広石、森下、茂松、灰野、金割、西方、泙野、大草、赤根、大塚、丹野、山神)の総産土神として近郷の尊崇をあつめまた明治五年郷社に列したとき為当稲荷神社、望理神社、(上、下)佐脇神社、引馬神社、広幡神社、泙野神社、大草神社、萩原神社、大塚素盞嗚神社、神明社、山神八幡神社、丹野兎上神社、金野の熊野八柱各神社を合せて常祭の神ととなえ本殿の右側にお祭りすることになりました。御祭神は伊勢より船にて渡来せられ、船の着いたところを船津といい、お供の神として磯宮かじとり大神、船津大神、お舳玉大神が隋従せられました。明治15年県社に昇格しました。当社には応永22年(1415)三河の守護一色義範の棟札があります。義範は丹波若狭2国の守護もかねており三笠には代人をおいていました。義範は幕府にそむいたので討伐されて命を失ない代って細川成之が守護となり、享徳元年(1452)その臣森下(波多野)政家と共に奉納した釣鐘が今も残っています。境内の富野御前社は安産の神として霊験がありお礼には酒つぼを献ずる習いです。岡吉胤が「楠の高き操と長く世に匂ふもよしや藤の花房」と詠んだ神木の大楠もよく繁茂しています。

      広報みと❻文化財(神社 昭和57年6月15日号より