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御津町商工会

⑲ 『白山神社』

114.png金野字横手35に鎮座せられ御祭神は伊弉冉尊です。しかし古来白山妙理大権現宮といわれてきておりますのでこの神は白山比咩神でありこの神は伊弉諾尊と伊弉冉尊とが黄泉平坂で争われたとき現れた神といわれます。この系列の神様は石川県の中宮寺にある白山比咩神社を本社としもとは国幣中社に列していました。
金野の白山神社は明治5年に現社名に改められました。伝説では天武天皇(在位672~685)の御子草壁王子(日並皇子と称し万葉集には「大名児〔恋人石川女郎の別称〕ををちかた野辺に刈る草の束の間も我忘れめや」との恋歌が残っています。持統3年「689」28歳で亡くなる)は宮路山麓に葬られたといわれていますが母君の持統天皇は僧観智に命じて観音像を造らせお墓の傍に安置し宮路寺という寺をたてられたといいます。その後兵火により堂宇が全焼したのでその焼け野原の有様によって地名を灰野と名付けたとのことです。その後新田氏が再興して名を観音寺と改め寺中には六坊が配せられ百観音が安置されていましたが今は牛久保の全谷庵に移されているといわれます。白山神社鳥居の西北に当たり大門坂という地名がありますが寺の大門があったところであろうといわれます。天文12(1543)織田今川2氏が小豆坂で戦ったときまたまた兵火にかかりわずかに行基作の観音ともう一体と、久公坊という坊が残ったとのことですが、のちこの坊は正覚寺に合併されたといわれます。境内にある御水垂の井は毎年1月7日未明に清浄な水を神前にそなえ五穀を供して朝八時に祭事を行いこの水をかの井に注ぎこの井の水を参拝者に施すのですが乳の病を治し乳の出を豊かならしむる霊験があるといわれています。当社最古の棟札は天正3年(1575)奉上葺権現宮社安隠郷内繁昌所神主宗右衛門大工御津平左衛門と記しうらに三州観音寺郷としてあります。明治までのもの12枚また観音寺に関係の棟札は元和7年(1621)以降九枚を数え当社に保存しています。拝殿地形下から鰐口や古瓦が出土しましたが神社と寺院とは一体のもので因縁浅からぬことを示しています鰐口は3個あって数年前惜しくも二個が盗難にあいました。真の祭日は旧9月17日ですが今は神職の都合で4月第3日曜日になっています。

      広報みと❻文化財(神社 昭和58年1月15日号より