山号を宝珠山といい、伊奈の曹洞宗東漸寺の末寺です。創建については、『三河国宝飯郡誌』によりますと、天正2年(1574)東漸寺の高安太益和尚が開基となっています。御本尊は、秘仏の延命地蔵尊です。文政3年(1820)に吉田竜拈寺26世彰遷和尚は、吉田近辺三十六地蔵の札所を定め、御詠歌を作りました。33番が常光寺で、「明らかに照らす仏の常光寺頼みて出でよ暗き闇路を」の歌です。かつては延命講の善男善女で賑わいました。
本堂前の道を横切る人は、必ず馬から下りて通ることになっていました。昔、ある武士が乗馬のまま通ろうとして、馬から落ちて大怪我をしました。領主の大岡越前守の示唆で、参道の石橋を、幾分か斜めに架け替えたところ、以後はそのたたりがなくなったといわれています。
本堂の向かって左に秋葉堂があり、聖観音像や庚申像が祀られています。この部落では、他の5つの秋葉様と同様に、夕刻になると、嶋の人々の奉仕で、常夜灯に灯が入れられます。昭和11年大火の教訓が長く守り伝えられているのです。
寺子屋の師匠実道和尚の墓は、明治30年に、筆子70名によって建てられました。
境内には、太い椰の木が4本あります。
みと歴史散歩:❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より