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御津町商工会

㉔冨士神社

善住寺のすぐ西隣りに冨士神社がある。冨士神社はもと下賀茂神社(萩町下森239-3.jpg前)の
末社であったが、寛永9(1632)年に社殿が現在地に創建され、明治23(1890)年に独立した。すぐ北西隣りには庚申寺がある。

冨士神社のコバノミツバッツジ 【市指定天然記念物】
冨士神社及び庚申寺周辺の山林には、約4000株のコバノミツバッツジが自生している。コバノミツバッツジはツッジ科の落葉広葉樹で、マツ林の中によく見られる。かつてここはマツ林であったが、多くのマツが枯れてしまった。コバノミツバッツジは、菱形の葉が三枚出るためこの名がある。花は紅紫色で、葉が開く前に咲くため、その様子は華やかである。花が咲く四月の上旬から中旬にかけては、毎年多くの人が訪れる。

富士神社・庚申寺のはじまり 【むかしばなし】
寛永9(1632)年のことです。下賀茂神社の進餅用の水は、裏の川の水を用いていましたが、その水が濁り神威を汚すおそれがあるというので、南の山麓の「中村」の地に井戸を掘ることにしました。掘り進めていくと地中から青面金剛童子の霊像が現れたので、下賀茂神社末社の冨士社に安置しました。ところがある夜、下賀茂社の社守の夢にその霊像があらわれ、「冨士王明神とともに、神田の浄地を選んで遷座せよ。四民とともに五穀と神田を護らん」と告げました。翌日、中村の井戸から1匹の白蛇が現れ、村人を導いて、現在の庚申寺あたりで消え失せました。村人はおそれをなし、さっそく堂を建て、青面金剛童子を祀って「神護山庚申寺」とし、1段さがった所に冨士王大権現を遷座して「冨士神社」としたといいます。

   豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より