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御津町商工会

⑦豊川海軍工廠戦没者供養塔

71-1.jpg豊川稲荷の境内を西側へ出ると、供養塔と刻まれた大きな石碑が視界に入ってくる。昭和20(1945)年8月7日の豊川海軍工廠の空襲で犠牲となったエ廠従業員の供養塔で、昭和21(1946)年に元工廠従業員の方々を中心に建立されたものである。台座には、犠牲者の方々の氏名が所属部門ごとに刻まれており、供養塔の中には戦死者名簿と工廠の土が納められている。空襲のあった8月7日には、この供養塔の前で87会による慰霊祭が行われてきたが、会員の裔齢化により平成17(2005)年を最後に慰霊祭は終了してしまった。この供養塔の前に立つと、現在の平和な日常が、尊い犠罪の上に成り立っていることをあらためて知らされる。

    豊川の歴史散歩豊川の町から牛久保の町へ 平成25年10月発行より