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御津町商工会

⑰大聖寺

牛久保城跡をあとに北に進み、中町会所の角を東へ入り5分ほど行ったところ85-1.jpgに、浄土宗寺院の大聖寺がある。寺伝によれば、一色刑部少輔時家の位牌所として享禄2(1529)年に創建されたといい、境内には時家の墓と伝えられる五輪塔もある。

今川義元公墓所 【市指定史跡】
境内の北西隅、石柱の柵で囲まれた一画の中に宝塔がある。これは、永3(1560)年の桶狭間の合戦で戦死した今川義元の胴塚である。同年5月12日、義元は駿府を出発して上洛の途についたが、5月19日に織田信長の奇襲を受け、尾張国桶狭間にて42歳で戦死した。義元の家臣達は、首のない主君の遺骸を牛久保まで運び、大聖寺の境内に葬り、手水鉢を墓印にしたという。この宝塔は、横倒しにした手水鉢を台石とし、その上に宝篋印塔の基礎と笠を重ね、さらに別の宝塔の軸部と笠をのせるという特殊な形となっている。義元の子の氏真は、永禄6(1563)年に義元の位牌をおさめるとともに、大聖寺の寺領を認めた。

木造阿弥陀如来立像 【市指定有形文化財】(見学できません)
本像は、像高98.2cmの寄木造で、本堂正面の須弥壇の上に立っている。この像は、徳川家康の5代前の松平親忠が、延徳2(1490)年に御津町広石の大恩寺に寄進したものである。大聖寺が明治3(1870)年に火災にあい本尊が消失したので、大恩寺から移された。鎌倉時代になると多く作られる3尺(90㎝)の大きさの阿弥陀立像であるが、衣の文様がやや大振りであることや、文様が金泥描きで複雑なことから、鎌倉時代後半(13世紀後半)の作と推定さる。

    豊川の歴史散歩豊川の町から牛久保の町へ 平成25年10月発行より