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御津町商工会

★瘡神様の話 (6-⑪)

38.png大字赤根にある。現在瘡守神社という。
社伝によると赤根の郷士鈴木弥次右衛門重昭(同家後裔にあっては鈴木孫市と称す)という人の所有地に笹塚というのがあって、彼はあるときその塚から火光の輝きが立ち昇るのを見て驚き、神聖な場所にちかいないと礼拝したが夢のお告げによってその神は少名彦命であることを知り、「天下蒼生瘡病を憂ふる者は塚の笹を湯に投じて浴せよ」との神勅をうけた。そこで延宝元年(1673)11月15日瘡守大明神を勧請したという。
この命は早くより地上にくだられ、常世の国を巡り船に乗って出雲国御穂に渡来され、大国主命と協力して国土を経営し、人民を撫育し医薬の方をつくられ、後再び外国に渡られたということである。
明治・大正時代までは、このことによって皮膚病の神様として有名になり、大いに繁盛し旅館までできたが、医業の進歩とともにいつとなくすたれ、今日は全く荒廃している。当時治癒者はお礼として塚に直径10センチ内外の瓦器という土器を奉納する習いで納められた土器が山をなしていたものである。

         広報みと❹郷土の伝説 昭和51年9月15日号より