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御津町商工会

③弘法山

観音寺を出て県道373号を北に向かい700m行くと、東三河環状線(県道31号)に出る。さらに北へ700mほど進んで森一丁目の信号交差点を渡り150m進むと、音羽川に架かる森橋がある。この橋を渡って川沿いに上流へ650m行くと楽園橋があり、その南西側に弘法山がある。
弘法山では、明治22(1889)年に道の整備と植樹が行われ、体育や行楽の地として「国府園」が開設された。昭和4(1929)年には「国府楽園」に改称され、かつては人工の滝や温泉施設が設けられた観光地であった。現在は弘法山公園となっているが、音羽川に架かる楽園橋の名称はその名残りである。

武田準平翁の碑
弘法山公園の一角に、高さ4.4mの大きな石碑がある。この碑は、国府町の人々が武田準平の徳を慕い、昭和3(1928)年に建てたもので、もとは弘法山の山頂にあった。碑文によると、武田準平(1838~1882年)は外科手術を得意とした蘭法医で、明治12(1879)年に創設された愛知県会の選挙で当選し、初代議長を務めた。その職にあっての仕事ぶりは公正厳明で、民衆の利益を増したことは数えきれなかったという。ところが明治15(1882)年に凶刃に倒れ、45歳でこの戦を去った。
碑文は宝飯中学校(明治14~20年に宝飯郡国府村に存在した学校で、全国公立3中学校の1つとうたわれた)校長を務めた渋江保が語ったものを、宝飯中学校の第1回卒業生でちに国府高等小学校長となった木村永八郎がまとめたものである。また碑文の上部にある「至誠通神明」の揮毫は、日露戦争の日本海海戦で指揮をとった東郷平八郎によるものである。

    豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より