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御津町商工会

⑧観音山古墳

115-1.jpg報恩寺を出て北へ200m行くと、右手にテニスコートが見え、その脇に樹木の茂る観音山古墳がある。墳丘上に「観世音」と彫られた石碑があることから、観音山古墳とよばれるようになったという。言い伝えによれば、報恩寺の北側には数基の古墳があったといい、かつて観音山古墳の周辺には数基の古墳が散在していたのかもしれない。古墳の形態は本来円墳であるが、大きく削られて現在ではほほ長方形となっている。残存している墳丘の高まりは2.4mほどである。平成4年に行われた発掘調査により、本来は直径23mの規模であったことが判明しており、出士土器から6世紀末から7世紀初め頃に造られたと考えられる。

    豊川の歴史散歩小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より